今日、初台の東京オペラシティアートギャラリーで開催されている、
「五線譜に描いた夢 ─ 日本近代音楽の150年」を見てきました。
これがあまりにも凄くて・・。
明治維新から現代までの日本音楽の歴史を沢山の資料とともに手繰る展示なのですが、最初の明治、大正のところでお腹いっぱいになって出てきてしまいました。
バンドで曲を作っていた頃、「オリジナリティ」っていうのが自分の中で大きな問題になっていきました。バンドで演奏しているロックとかはそもそも基本フォーマットが欧米からの借り物です。そのままやっていたらオリジナルな音楽とは感じることができなくて面白くありません。
「オリジナル」って何よ?って突き詰めて考えて行くと、ナショナリティの問題に行き着きます。
自分が「日本人である」ということ自体が差異を生むわけですね。
じゃあ、日本人である、ということを音楽的に落とし込むとしたら、どういうことになるのだろう???
昔、GS(グループサウンズ)のブームが終焉する頃、日本のGSバンドがアメリカの有名な音楽番組に招待されて渡米する機会があったそうです。
彼らは張り切って、「日本的」なアピールをしようと、バンド演奏に「琴」を混ぜて演奏したそうです。
僕はその話を聞いた時に違和感を感じました。
気持ちはわかるのですが、なんとなくやり方が間違っているという気がしました。
この問題はいまだにはっきりしません。
いわゆる「ヨナ抜き音階」を使用すると、和風フレイヴァーが出るのはわかりますが、それが何故なのかは相変わらずわかりません。
YMOは和風含めてオリエンタリズムを強調しましたが、コーネリアスにはそういった要素はありません。(ただ、コーネリアスのあのエディット感は日本的だなぁと感じますが)
明治の初め、西洋音楽の伝来は黒船の軍楽隊とともにあったそうです。
聞き慣れない7音階、真鍮の管楽器などに日本の人達はさぞ驚いたことでしょう。
明治維新とともに音楽教育の西洋化も押し進められていくのですが、それでも唱歌に選ばれたり、作られたりするのは日本的な音階の曲でした。
「君が代」も最初は西洋的な構造を持った曲でした。
しかし、日本の人達には馴染まなかったようで、その後新しく作り直されたのが今の君が代になります。
しばらく考えます・・・・。