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3月11日
一階で仕事中に大きな揺れを感じる。
しばらくは椅子にそのまま座っていたものの、あまりの揺れの大きさにデスクの下に避難。感じた事のない揺れ方に、子供の頃からいつか来ると言われ続けていた東海地震がついに来たかと思う。
僕の名を叫びながら妻が娘を連れて一階まで降りてきて、三人でデスクの下へ。揺れが収まるのをじっと待つ。大丈夫大丈夫、と根拠もなく声をかける事しかできない。
ずいぶん長いこと揺れた後にようやく収まる。棚からDVDが全部落ちた以外、たいした被害はなさそう。妻も娘も無事。猫たちもどこか(ソファの下とか)に避難していたようで、おびえているけど無事を確認。
電気およびネット環境は生きている。他ライフラインも正常。念のためガスは元栓を閉める。webをチェック。TVもつける。見た事のない「大津波警報」というのが出ている。
twitterのタイムラインがかなり混乱している。様々な情報が錯綜。関西の震災経験者からのアドヴァイスを参考に、お風呂に水をためたりする(これは後に役に立った)。また、twitter上でのみ、友人/親戚の安否を確認。
震度が6とか7とか、東京でも5強とか。
TVでは「これは現実なの?」と目を疑うような映像。今まさに津波が街を襲おうとしている。
その間も強い余震が続く。揺れをずっと感じてだんだん気持ち悪くなってくる。
妻が避難道具をまとめたりしている。僕も近くの避難場所を探したりする。が、よくよく考えると避難する理由が見当たらない。一応荷物はそのまままとめておく。
原発が危ないんじゃないか、と少しずつ情報が入ってくる。
どうやら、とんでもないことになってきた、と実感。
余震におびえて風呂にも入らず、いつでも逃げれるよう服を着たままその日は寝る。つけっぱなしのTVから地震の警報音がたびたび鳴るのでなかなか寝付けず。
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3月12日
少しずつtwitter以外で友人/家族と連絡がとれるように。八戸にいる義父の透析が中断したままと知り心配。しかも八戸は停電。
福島第一原発一号機で爆発。
ひたすら情報収集。
翌日に予定されていた「りつを」のライブが中止になる。
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3月13日-
「わからない」という事が一番怖い。
原発関連の情報をかたっぱしから読む。
結論
当面の方針として、
外出を控える。
洗濯物を外に干さない。
窓を開けない。
最悪、妻と娘を九州(うちの両親の実家)に逃がすことも検討。
文字通り身動きできない状態で、息が詰まる。
精神状態もギリギリ。些細なことで妻と言い争い。
八戸の停電は解消され、義父も無事透析を受けられた。
結婚記念日を夫婦揃ってすっかり忘れる。
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3月16日-
輪番停電開始。
うちのエリアはばっちり停電区域に。EMOBILEが役に立つ。
できるだけ節電。
近所のスーパーで米、水、納豆、牛乳、パン、ヨーグルトなどが手にはいらない。
ガソリンスタンドにも長い列。
郵便局から義援金を寄付。日本赤十字。
知人が物資を持って東北に行くということで、役に立ちそうなものを出来るだけ集めて送る。
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3月23日
東京の水道水に基準値を超えるヨウ素検出。
ミネラルウォーターを求めて右往左往。
その後、幸運にもウォーターサーバーを都内で手配完了。
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3月31日
ランニングを久しぶりに再開。
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